火織譚〔ほおりばなし〕9話――蒼丞(下)

「何を言い出すんだ、って顔に書いてあるわよ」

「正直にいうとそのとおりだ」

「でしょうね。でも、神籍に入ってたのは本当の話なの。あまり思い出したくないことだけど」

 遠くからほんの微かに波音が聴こえる。

 西大岩島〔にしのおおいわじま〕の岩礁が波を砕く音だ。

「生まれてすぐ、生みの親からは引き離されて、教師と乳母に育てられた。あの頃はわが身を呪ったものだわ。神府の敷地の外に出ることも許されず、大人同士の取り決めで誰に嫁ぐか決まってしまう。いま思い返せば、食べるのにも着るものにも苦労しないお姫様扱いだったのに」

 それはそれでつらいんじゃないか、と口を挟みそうになったが、何も知らない俺がいうことではなかった。

「とくに教育係の神官の厳しさったらなかったわ。あの男、いま思い返してもどうにかしてたわ。自分でいうのもどうかと思うけど、私に心酔してた。愛情、なんてものじゃなかったわ。だから、いま、ちょっと怖いのよ」

「何が?」

「その男は、竟鹿〔ついか〕はいま神府長の座についてるの。私を探すためにいくらでも人を動かせる。それに、皮肉なものね。私が神籍を離れて逃げたのも、その竟鹿が落とした手帳をたまたま拾って盗み読みしたから。それで外の世界を知った気になったの。そう、知った気になっただけ」

 『さくら』もとい『ことぶきのひめみこ』は煙管に煙草を詰めながら、

「この支茂瀬に流れつくまでそれほどかからなかったのよ? 私自身が一文無しになっちゃったんですから。初めこそ何てひどいところと思ったけど、みんな人はいいし、歌札の師匠になってくれた姐さんのおかげで食い扶持も持てたから、いまこうして気楽にやってるの」

 日頃の『さくら』さんからは想像もつかない話だ。

 いつ追手がここを嗅ぎつけるか。

 いつ、元の暮らしに戻されるか。

 冷たい表情が思いの丈を物語っているようだ。

 少しの間、沈黙が流れる東屋を蠟燭の火がゆらゆらと照らした。

「煙草をもう一服していい?」

 俺の返事も聞かず、東屋の主は煙管に煙草を詰めた。

 弱ったな。

 押し黙っているのも居心地が悪いし、穿った話もできない。

 それに、今更になって、血の小便でも出そうなほど身体が悲鳴を挙げているのに気づいた。

 ここは当たり障りのないことでもいっておこう。

「しかし、わからんもんだなあ。『さくら』さんと俺がこんなに話し込む仲になるのにこんな巡りあわせがあったなんてな」

 不意に彼女の顔に笑みが戻った。

 弱々しい笑みではあったが。

「どうかしたか?」

「いえ、他愛もないこと」

 そういって、俺に微笑みかけながらいった。

「私のこと、いままで通り『さくら』さんって呼んでくれて嬉しい」