【短編】『ピンセフィオカロ』

 故国を離れ、この南国にやってきて一年が経とうとしている。

 死と隣り合わせの過酷な航海を思い返すたび、再び故国の土を踏むことはあるのだろうか、と自問する。

 それは父なる神の御心次第だ。

 大司教猊下から布教の任を賜り、この地、国王陛下直轄領ニャミネオに着いたちょうどそのころ、雨季が開けようとしていた。

 今年の雨季は少し早く開けるだろう、とニャミネオ人の小間使いたちが異口同音にいっている。

 私たちのような、高度な文明に護られた人間が失った能力を、この土地の人間は鋭敏にたもっているらしい。

 実際、彼らが「明日は海が時化る」というとほとんどその通りになった。

 そして『雨期開け後はひどい暑さになる』という読みも、数日と立たないうちに的中した。

 私はこの地を拠点に、父なる神の御教えをアジオロネシア島の未開人たちに知らしめるつもりでいる。

 雨季のうちに手はずを整えておいて大正解だった。

 我らが父の御言葉は、必ずや未開人たちの閉ざされた眼を開くに違いない。

 そのためにこそ、父なる神は、鋼より堅い信仰と強い心、それに語学の才を授けてくださったのだ。

 困難な働きになるだろうが、苦難や困難は聖典に現れる人物のほとんどが経験している。

 そのことが私を勇気づけた。


 数日後、アジオロネシア島。

 こつこつ、こつこつと、未開人たちは両手の甲を打ち合わせながらニコニコしている。

 船をつけ、ニャミネオ人の船乗りたちを先におろして、塩漬け肉を差し出すや否や、アジオロネシア人たちはあっけないほど簡単に警戒を解いた。

 物惜しみをしても仕方がないので、船に積んである分をありったけ贈ってやると、彼らは身振り手振りで「ついてこい」というように我々を奥のほうへ招いた。

 ここでニャミネオ人の助手とは引き離されることになった。

 彼らはこの未開人を人食い部族と信じて疑わない。

 何かあったら引き返していいぞ、と予めいいつけたときは強がっていたが、土壇場で怖気づいてしまったらしい。

 もちろん、布教の使命を負った私には関係のないことだ。

 脚の筋肉がひりひりするのを忍耐しながら島民の道案内についていった。

 彼らの集落には小一時間ほど歩いて到着した。

 集落から島の端々がわかるほどの小島なので、ここがアジオロネシア人唯一の集落なのだと分かった。

 人々が、先ほど差し出した塩漬け肉を頬張り、男女の別なく酒を飲んでいる。

 夜まで待って宴を開くほどの文化もないのか。

 いや、彼らは無明のために目が見開かれていないだけだ。

 だからこそ、私はこの未開人たちに父なる神の教えを説かねばならない。

 それと同時に、彼らの言葉、価値観、死生観などを調査する任も背負っている。

 やはり前途多難だろう。

 私には鋼の心と語学の才が備わっている。

 この世に生きる者のうち、誰一人として説教しそびれることがないよう、気を引き締めなければいけない。

 そう、すべての人は父なる神の教えに触れるべきなのだ。


 予想に反して宴が催された。

 大人の島民が十二、三人ずつ車座になって座る。

 その集団が四つ。

 くわえて、蒸気を直に浴びるような暑さのなか、子供たちがあちこち走り回っていた。

 見渡してみる限り、この集落、つまり島の人口は百に満たないらしかった。

 私と一緒に食事をするのもやはり十二人ほどだった。

 それも、男も女も席を同じくしていた。

 暑さと湿気で食が進みそうになかったが、これからの布教と調査を考えると、食事を断るわけにはいかなかった。

 食事は熱帯樹の葉にくるまれて出された。

 おそらく、魚、芋、魚介、それに男たちが日中仕留めた野鳥だ。

 何かを醸したような甘い匂いのする酒も勧められたが、もちろん断った。

 島民たちは不思議そうに顔を見合わせる。

 まったく、酒に現を抜かすとは、やはり一刻も早い教化が必要だ。

 そのためにも、この島の食事にはできるだけ早く慣れたほうがいい。

 腹を決め、熱帯樹の葉で蒸し焼きにしたと思われる魚を手づかみで食べた。

 その直後、思わず声が出てしまった。

「うまい!」

 嬉しい形で意表を突かれた。

 蒸しただけの魚がこんなに味わい深いとは。

 すると、島民たちが「ウマイ?」と異口同音に繰り返す。

 私も応じて「うまい」と笑って見せる。

 どうやら意思が通じたらしく、一人の男が矢継ぎ早に他の料理を指し示し、

「ウマイ、ウマイ」

 といってみせた。

 「どれもうまいぞ」といっているらしい。

 その宴のさいちゅう、私は彼らの言葉をひとつでも多く覚えられるよう、指をさしては「なに?」と問いかけた。

 アジオロネシア人は快く答えてくれたうえ、一人の男など、私の服をつまみながら「なに?」と聞いてきた。

 私は彼の腰蓑〔こしみの〕をつまみ「おなじ」と答えた。

 この調子で彼らの言葉さえ理解すれば、彼らの言葉で父なる神の御教えを説ける。

 彼らは偉大なる神にひれ伏すだろう。

 まさに私がそうであるように。

 だが、その自信が揺らぐ出来事が、早くも翌日起きた。


 まだ青年だと思しき男が死んだ。

 卒中を起こして、そのまま息を引き取ったのだ。

 集落中から人々が集まってくる。

 何ともいえない違和感を抱き始めたのもこの時からだ。

 彼らの死生観を知る手がかりはないかと、私の隣に立っていた娘に尋ねた。

 昨日の宴で同じ料理を囲んだサニフカという若い娘だ。

「彼、なに?」

 語彙が限られているなかで考え抜いた問いかけだった。

 娘は案外あっけなく応えた。

「『ピンセフィオカロ』」

「ピン……セフィ?」

「『ピンセフィオカロ』」

 二度目はゆっくりといってくれた。

 どうやら彼は「死」のことを『ピンセフィオカロ』というらしい。

 やがて、死者は腰蓑を外されて一糸まとわぬ姿となり、男たち二人に腕と脚を担がれ、海岸のほうに運ばれていった。

 それを見送る人々はさまざまな言葉を口にしていたが、やはり『ピンセフィオカロ』という単語が際立って耳についた。

 そして、男の亡骸は海に放り投げられた。

 役目を終えた二人の男たちは何食わぬ顔で帰ってきて、ここでも『ピンセフィオカロ』がどうのこうのといっていた。

 人々は、本当にあっけなく、興味を失ったように元の暮らしに戻っていった。

 海葬と呼ぶにはあまりに素っ気ない。

 人の命を何だと思っているのだろう。

 それに、違和感はますます強くなるばかりだ。

 頭が混乱してきた。

 なんとか気力を振り絞って、サニフカにまた尋ねた。

「どこ、彼?」

 この部族にとっての死者の世界がどうなっているか探りを入れるつもりだった。

 だが、三度目ともなるとサニフカもうっとうしく感じたのか、ちょっと面倒くさそうに、

「『ピンセフィオカロ』」

 というだけだった。

 また『ピンセフィオカロ』か。

 この掴みどころのない、だが確実に死と関わりのある言葉をどう解釈するか。

 それにはまだまだ時間が必要だ。

 いずれ、この未開人たちから無明を取り払うそのときまで、忍耐強く彼らの言葉を理解しなければならなかった。

 *    *    *

 その晩、眠りに入る直前だった。

 突如として違和感の正体に気づいて起き上がった。

 あの海葬で、誰一人として涙を流す者がいなかったのだ。

 死者の年かさからして親兄弟もいるだろうに。

 ここの未開人たちは人間の高貴な魂の価値すら理解できないのか?

 アジオロネシア人を気さくで優しい者たちだと思っていただけに、彼らの笑顔が不気味さを帯びて思い返された。


 この島に上陸してちょうど一か月。

 欠かさず日誌を書いているので月日だけは正確に把握している。

 だが、依然、アジオロネシア人についてはわからないことだらけだ。

 急いては事をし損ずる。

 腰を据えて彼らと交流しよう。

 ようやくその決心がつき、私は島のあらゆるところを案内してもらったり、探索したりした。

 いまは砂浜から見上げるようにして岩礁をスケッチしている。

 どうせ長居するのだから精密な記録を取るに越したことはない。

 近頃、私は人々に『ナバウトゥピ』と呼ばれるようになった。

 『ナバア』が『白』を指し『オトゥピ』が『男』の意味だと判ったのはつい最近のことだ。

 『白い男』とはずいぶん素朴な名前じゃないか。

 スケッチの細部を埋めながら、目の前の岩礁に目を凝らしていると、さっそく私を呼ぶ声がした。

「ナバウトゥピ! 文字、それ?」

 島の娘の一人、サニフカが無邪気に覗き込んだ。

「いいえ、文字。思い出す、景色、するための」

 遠い故国で研究材料にする、とは言い表しようがなかったので、ちぐはぐな言葉遣いになってしまった。

 サニフカもきょとんとしている。

 私はスケッチブックを閉じて、

「やめる、疲れた」

 とぼやくようにいうと、サニフカは手の甲を打ち合わせた。

 彼らの言語に「休む」という単語が見当たらないのは、毎日が狩猟採集の日々でもあり、休日でもあるということを示唆している。

 ここには安息日もないし、あまりに過酷な労働もない。

 正直なところ、故国で培った、熱心と勤勉という信条が揺らぎ始めていた。

 故国には”池を耕す”ということわざがある。

 水面めがけて鍬を振り下ろすような、無益で愚かな働き方のことだ。

 近ごろ、文明国の人間たちのほとんどが”池を耕す”暮らしを送っているのではないか、と思うようになった。

 アジオロネシア人たちは、我々よりはるかに少ない仕事、それに最小限のモノで心が満たされているのだから。

「ナバウトゥピ?」

 鈴の鳴るような声で呼ばれて我に返った。

 サニフカは返事も待たず私の横に座る。

 彼らの親密さにはすっかり慣れてしまった。

 一か月前の私には信じられないだろうが、皆で料理を手づかみして食べることが当たり前になった。

 それに、ニャミネオ人よりも優れた鋭敏な感覚には舌を巻いた。

 一度など、暴風雨に見舞われる二日前にそれを察知し、漁に出られなくなるのを見越して当分の干魚をこしらえた。

 大司教猊下から賜った使命を常に心にとどめつつ、穏やかな日々を楽しんでいた。


 そのまどろむような日々を破るかのように、人々が騒然とした。

 フィンカという若い男が突然口を利かなくなったのだ。

 目はうつろで、なにかに打ちひしがれているようにも見える。

 集落の外れに庵が編まれ、男たちが数人がかりでフィンカを運び込み、腐臭を放つ傷んだ魚が入口の前に置かれた。

 風土病だろうか。

 彼らの言葉で尋ねる。

「あいつ、なに、病?」

 すると、年長の女が代表するようにして答えた。

「『タウーエーエナ』」

 老女は身振り手振りを交えながら、

「ではない、病。重い、心、若者」

 病気ではないとしたら、悪魔憑きのようなものだろうか。

「悪い、それ?」

 しかし、女は「重い、心、若者」と繰り返すだけだった。

 記録する言葉にも困り果てていると、老女は私の背後を指さした。

 貝殻や編み草の装飾品を引きずるように、サニフカがこちらへとやってきた。

 唖然として見ていると他の者に腕を引っ張られた。

 道を開けろ、ということらしい。

 サニフカは、仮面を取ったかのようにいつもの笑顔を消し、一歩、また一歩と庵の前に歩みを進める。

 時折、老婆が何かを指導するようにサニフカの歩みを止めたり、装飾品を付けなおしたりしている。

 あの娘はシャーマンに選ばれたのだ。

 この南国の島々では、女性にある種の霊力が宿るとする部族の存在が報告されている。

 アジオロネシア人も例外ではないようだ。

 後ろには原始的な印象の歌をうたう女たちが続いた

 固唾を飲んで事の成り行きを見守る。

 やがて一行が庵の前にたどり着き、皆の注目を集めながら、いよいよ儀式めいたことが始まった。

 サニフカが地面に座ると、後ろの女たちが静々と後ろのほうに控えた。

 波の砕ける音に紛れて、ささやき声が聞こえる。

 サニフカが祈祷しているのだ。

 静かに、それでいて柔らかな響きのある彼女の詠唱は凪の大海を思わせた。 

 大の大人が寄り集まって讃美歌を歌うのとは大違いだ。

 牧歌的な雰囲気すら感じた。

 一時間ほどそうしていただろうか。

 この光景もスケッチに取れるなら越したことはない。

 誰かに掛け合ってみようか、と思ったまさにその時だった。

 聴き慣れた鈍い音がそこら中に響き渡った。

 みなが手の甲を打ち合わせる。

 庵を見やると、けろりとした顔でフィンカが出てきた。

 やはり手の甲を打ち合わせる仕草は「好ましい」という意思表示に違いなかった。

 そう確信したのも束の間、それまで興味津々と儀式を見守っていた人々が、あまりにもあっさりと散り散りになって、また元の暮らしに戻った。

 事実に頭が追い付かない。

 ここの人々の価値観は言語だけでは到底図り取れないと痛感した。

 おそらく『ピンセフィオカロ』の正体も。

 この体たらくで、彼らを教え導くことなどできるのだろうか。


 それから数日間、浜辺で独り過ごすことが多くなった。

 あの集落にはプライバシーの概念がない。

 とくに夜ともなれば、そこかしこから男女の歓喜の声が聞こえ、しかも誰一人恥じないありさまなのだ。

 神に祈りを捧げるでもなく、聖典の一節を吟味するでもなく、思案する。

 たったひとつだけわかったことがあった。

 我々が感情と呼んでいるものは、自己の内部、精神の活動によるものであることは疑いようがない。

 ところが、アジオロネシアの人々は外からもたらされるものだと考えているらしかった。

 フィンカを襲った『タウーエーエナ』も、今日の科学からすればある種の精神的風土病と見て間違いない。

 だが、あのとき老女は「重い、心、若者」と説明した。

 「若者の心が重くなる」。

 それを、サニフカが外部から取り除いて見せた。

 少なくともそういう体裁にはなっている。

 外部からもたらされた憂鬱を外部から取り除く、という構図がこの島では出来上がっているのだ。

 すべての常識が脆くも崩れ去る。

 ここは無明の世界ではない。

 別世界なのだ。

 どうしたものか。

 聖なる御教えを彼らに説くには、いったいどうすればいいのだろう。

 大きくため息をついて考え事を中断した。

 考えれば考えるほど、思考の堂々巡りにはまってしまう。

 すっかり慣れた蒸し暑さのなか、なにをするでもなく岩礁を見やる。

 海水が溜まっているところで魚が悠々と泳いでいる。

 故国では決してお目にかかれない、南国の優美な魚がすっかり好きになってしまった。

 何匹か捕まえて、標本にして故国に持って帰るのもいいかもしれない。

「ナバウトゥピ」

 不意にサニフカの声がした。

 振り返ると、娘は心配そうな声色で尋ねてきた。

「『タウーエーエナ』?」

「いいえ、いいえ。動いていない」

 動いていない、という言葉が、この島では、物思いに耽るとほぼ同じ意味合いを持つ。

 サニフカはほっとした様子を見せ、その場で水平線の彼方を観やった。

「いつ、くる? 乗るもの、海、動くもの」

 帰りの船はいつ来るのか、と聞きたいらしい。

「分からない。くる、そのうち、待つ」

 このとき、娘が見せた満面の笑みを、私は生涯忘れないだろう。

 悲しみに曇ることが一切なかった。

 来た者はすなわち去りゆく者だと分かりきっているかのようだった。

 その瞬間、ひらめきの火種が弾けた。

 去るもの。

 『ピンセフィオカロ』。

 まったく泣く者のない海葬。

 来るもの。

 拒もうともしない。

 嬉々として塩漬け肉を受け取り、歓迎の宴を開く。

 『ピンセフィオカロ』は、彼らの死生観の根幹にある言葉だ。

 単に死を表すような単純な単語ではない。

 どこかからきて、どこかへ去り行く、その「どこか」こそ『ピンセフィオカロ』なのではないか。

「サニフカ」

 あともう少しで点と点が線でつながる。

 予感ではない、確信だ。

「ピンセフィオカロ、遠い?」

 サニフカはきょとんとしてみせた。

「近い?」

 今度はあからさまに困った顔をした。

 おそらく、私が重大な勘違いをしているのだろう。

 たったひとつの勘違いのために行き違いが生じている。

 次に問いかける言葉を考えていると、サニフカが腰蓑をふわっとなびかせて岩礁のほうへ歩いて行った。

 そして何かを指さした。

「次まで、休む、遊ぶ、心」

 熱帯魚が悠々と尾びれをなびかせていた。

 すべてを理解した。

 彼らは魂と心を区別しない。

 もしくは心の存在を認めても魂の概念がない。

 一人の人間が死者となったその瞬間、心は『ピンセフィオカロ』で休息をとり、互いに戯れる。

 そして「次まで」つまりまた赤子としてこの島に生まれるまで心を癒す。

 それを、この娘は島に無数ある岩礁の一角で示して見せた。

 『ピンセフィオカロ』は、遠いどこかにある死者の世界ではない。

 隣の庵ほど身近にある死者の心の休息の場なのだ。

 サニフカは興味を失ったようにこちらへ戻ってきて、また水平線を眺めていった。

「ナバウトゥピ、乗るもの、海、動くもの」

 今度はこっちがきょとんとしてしまった。

「どうしたの、それ? 乗るもの」

 サニフカは無言で海原を指差した。

 彼女の言わんとすることを理解するまで、恐らく二十分は要したと思う。

 ようやく、遠くから船が向かって来るのが私の目でも確認できた。

 なんという視力だ。

 どうやら、文明の発展とともに、我々はまともな視界すら捨ててしまったらしい。

「サニフカ」

 彼女に声をかけ、手の甲を打ち鳴らせてみせた。

 君には感謝する、と伝えたかったのだが、片言の言葉で伝えるより多くのものが伝わると思った。

 それを知ってか知らずか、サニフカも手の甲を叩いてにこにこしていた。

 船は正午ごろに着いた。

 翌朝の出航予定時刻が来なければいい、と思った。

 布教の任さえなければ、ここで暮らすほうが幸せに決まっているからだ。


 敬愛なる大司教猊下

 余計な前置きは致しますまい。

 と申しますのも、いま、私めはこれ以上ないほど信仰を試されているのです。

 私めが父なる神から賜った使命は、あまねく人々に御教えを知らしめることにあります。

 その証左に、逞しい心と語学の才まで与えられました。

 その心はいまや木枯らしに吹きさらされる枯れ葉同然、未開の人々の無邪気な言葉を解明したために、堅牢なる信仰が揺らいでおります。

 決して誤解されまするな、私めは信仰を捨てようなどと申しておるのではございません。

 父なる神の威光が未だ行き届かぬところに、争いらしい争いもなく、傲慢らしい傲慢もなく、貪りらしい貪りもない、いわば新世界をこの眼で見出してしまったのです。

 私めは単に力不足なのでしょうか?

 使命を履き違えた愚か者なのでしょうか?

 私めには何もかもが分からなくなってしまいました。

………

……

 これ以上筆が進まない。

 気が逸れるのも当たり前だ。

 窓の外では王国人がニャミネオ人を鞭打っているのだから。

 彼はこの地の言葉で許しを乞うている。

 だが、鞭は容赦なく振り下ろされ続けた。

 そして、ああ、父なる神よ! 彼は痛みのあまり気絶し、そのまま路上に放っておかれた。

 私にはなす術がない。

 この地の民で、神の御心に反するものがいたならば、問答無用で鞭打ちつように、と国王陛下がお決めになったからだ。

 そして、こうした悲鳴は日に幾度となく耳にするものだ。

 私が止めに入ろうものなら不信仰者の烙印を押されてしまう。

 そして、アジオロネシアの島に赴く直前まで、止めようなどと微塵も思わなかった自分があった。

 あの島の素朴で優しい人々も、布教が進むにつれ、遅かれ早かれ同じ憂き目に遭うのだろうか。

 それだけはどんな罰を受けてでも阻止したい。

 だが。

 もし、それすらも父なる神の思し召しなのだとしたら?

 そのために、神が私をこの地へいざなったのだとしたら?

「そんなはずはない!」

 頭を掻きむしって机に突っ伏す。

 神に祝福されたはずの人々が無慈悲に鞭を振るう。

 何もしていないはずのニャミネオ人が、おそらくは憂さ晴らしだけのために悲鳴を上げる。

 何故?

 何故だ?

 一体だれが何を間違っているのだ?

 アジオロネシアから帰ってきてからずっとこんな調子だ。

 夜もろくに眠れず、あまりに長い夜をまんじりともせず過ごしていると、寝台ごと地獄に放り込まれたような心地がする。

 そもそも神学校など出なければ宣教師を任されることもなかった。

 それよりも、せいぜい小都市の下町の職人にでもなって、旅もせず、外の世界を知らないまま素朴な人生を送ればよかったのだ。

 そのほうがよほど健全に信仰を保てたに違いないのだから。

 我が命が神の御前で裁かれるとき、是が非でも神の御国に入りたい。

 それは悲願だ。

 アジオロネシアの人々は、死ねば魂がピンセフィオカロに安んじると信じている。

 それは彼らにとってあまりにも当たり前のことだ。

 そう、当たり前に安息の場が約束されているのだ。

 神の御国への、険しく果てしない道のりとは大違いだ。

 ふと窓の外を見ると、鞭うたれていた現地人が肉の塊となっていた。

 馬車に轢かれたのだ。

 その肉塊を片付けるのもまた現地人だ。

 少し離れたところでは、紳士然とした王国人たちが何食わぬ顔で談笑している。

 奴らこそ悪魔の化身だ!

 怒りが湧き、すぐに無力感へと変わった。

 私には分からない。

 人々がいつから神の恩寵をないがしろにし始めたのか。

 聖典にすら悪人が登場するとはいえ、例外なく心を改めた。

 だが、私が知る限りでも、この世で悪が根絶された試しはない。

 神の威光と御教えに満ちた世界であるはずなのに。

 疑問が新たな疑問を生む。

 私は帰路に就くべきなのだろうか?

 無明を払うため神の御教えを広め続けるべきか?

 本心では、いますぐにでも故国に帰りたい。

 あるいはこの地で倒れるとしても、もう一度アジオロネシア島に赴きたい。

 彼らを、彼らのピンセフィオカロを護るために。

 傲慢な王国人よりよほど神の御心にかなう、素朴な人々の世界を護るために。

 死人、魂、行く、戯れる。

 サニフカの鈴のなるような声が思い返される。

 私の使命と仕事はいよいよ重さを増した。

 神の御国はあまりに遠い。

 ピンセフィオカロはあんなに近く、温かさすら感じられそうなほどだったのに。

(完)