【随筆】生成AI、中年の危機、そして迎える誕生日

 

生成AI


 

 生成AIの進化に伴い、何とも言えない不気味な雰囲気が漂っている。

 生成AIの進歩自体には善も悪もないが、使われ方しだいでは毒にも薬にもなると思っている。

 以前、noteをやっていたとき、AIエンジニアで経営者の方と親しくさせていただいた。

 ここではAさんとさせて頂く。

 Aさんは、発達障害をはじめとした”生きづらさ”を抱える人たちのために起業された。

 生きづらに苦しむ人々が安心して働ける場として会社を設立されたそうだ。

 御本人は「ただやりたかったからやっただけ」とおっしゃっているが、凡人にはなかなかできることじゃない。

 いまも月に一、二度ほど直近の記事を読ませてもらっている。

 こうして生成AIを始めとした技術を善用すれば頼もしい相棒になるだろう。

 ところが、人間、ろくでもないことを考えるものだ。

 遅かれ早かれ、AI技術が本格的に軍事転用されるのだろう。

 というか既にある程度は使われてるんだろうなあ。

 石器だろうが、火薬だろうが、化学物質だろうが、そしてデータでさえも、人類は見境なく武器にしちゃいますからね。

 もう一度強調するが、AI技術の進歩そのものに善も悪もない。

 使い方の問題なのだ。

 Aさんのような志の持ち主が一人でも多く現れることを切に祈る。

 中年の危機


 作業所通いの障害者なりに中年の危機はある。

 中年の危機は、一般的に、企業で勤め若いころから突っ走ってきた人が「このままでいいのか?」と自問する、というような文脈で用いられる。

 障害者にとっては文脈が全く異なる。

 この症状をどう扱えばいいのか?

 生活保護を受給することになるのか?

 そもそもどうしてこんな苦しい思いをしながら生きながらえなければいけないのか?

 ごく一部の例を挙げてみたが、ほかにも多種多様な悩みがあると思う。

 『思う』といったのは、僕の場合、症状が慢性化しつつ安定しているので、大きく悪化することもなければその反対もないからだ。

 その代わり「これから何がどうなるんだろう」としか表現できないモヤモヤに苛まれる毎日だ。

 じゃあ、どうするか。

 答えを急がず、忍耐して対処することにした。

 いわゆる「ネガティヴ・ケイパビリティ」である。

 だって、答え見つからないんだもん。

 何はともあれ作業所に通うしかないんだもん。

 お世辞にも日々全力燃焼で生きているとはいえない人間ではあるが、最低限できることぐらいはこなしているつもりだ。

 不完全燃焼のような心地悪さも中年の危機特有のものだと思う。

 中年諸君、モヤモヤしているのはあなただけではないですよ。

 乗り越え方もその人なりに合った方法があると思うので、いたずらに抗うことを避ければ時間が解決してくれるものと信じている。

三十八歳を数日後に控えて


 一年の計は元旦にあり、とよくいわれる。

 あれは数え年の時代の話だと思う。

 旧暦では、誕生日がない代わり元日に皆が一斉に年を重ねた。

 言い換えれば「一年の計は誕生日にあり」という感覚か。

 素朴な疑問なんですが、一年の計なんて続くもんですかね(笑)

 継続できる人は初めから継続していると思うし。

 ……とまあ愚痴をこぼしてみたが、そういえば僕もある程度は継続の習慣がついた。

 日記は七月二十日(国政選挙の日でしたね)から続いているし、作業所の工賃と障害年金を管理する収支帳も、なんだかんだ九月十日から継続できている。

 日記は本日(12月20日)を以て丸五か月だ。

 正直、自分でも驚いている。

 何をやっても熱しやすく冷めやすい僕が、たかが日記と収支帳とはいえ、こんなに続けてこられたとは。

 強いて成功要因を挙げるなら、王道の「細く長く」を意識していることだろうか。

 日記は「最低三行」「睡眠が乱れているときは書けるときに書く」「書くのを忘れたら思い出し日記にする」ぐらいの縛りでやっている。

 収支帳はもうちょいしっかり書いているが、それでも殴り書きに等しい。

 こういった成功体験は多少なりとも自信になったし、継続のメリットは継続そのものを通して体得しないとわからないと思う。

 なので、三十八歳の目標は「引き続き継続する」ことにしよう。

 もちろん新たに続けたいことができればなんでも試すつもりだ。

 継続は力なり。

 二十年前の自分に説教したいことナンバーワンがこの格言です。