火織譚〔ほおりばなし〕7話――統君

 三度の軍議を重ねて統府の風通しがよくなった。

 老練の軍省長、双鷁〔そうげき〕元帥と副軍省長、雨松〔うしょう〕大将の目付のもと、若い将校たちが統府を縦横無尽に動けるよう、彼らを統府付太武官とした。

 成果はすぐに現れた。

 統府各所に埋もれていた報せ事、見聞書、父王の代にまでさかのぼる西方諸帝国の記録といった宝の山が次々と出てきた。

 もし、各所が己の縄張りに固執したままならこんなことは怒らなかったはずだ。

 つくづく思い知らされた。

 いまばかりは仕方ないとして、やはり、自分一人が腕を振るうのでは限界がある。

 自分が死ぬが早いか、老衰して統君の座を譲るが早いか分からないが、いずれにせよ、有能な後進を育てなければならない。

 いまは、その後進を育てつつ国難に対処するという、細い桟橋を渡るような様相を呈している。

「一杯ついでくれ」

「かしこまりました」

 こうして平服で奥の間に入っても、近頃は政務のことばかり考えてしまう。

 いつでも動けるよう米氣〔サケ〕は盃に三杯までと決めていた。

 もともと米氣には強くないし、煙草のほうが好みだ。

 夕餉は、一合の飯、汁物、煮魚と漬物を作らせている。

 夕餉を肴代わりに米氣を飲んでいると、鈴の鳴るような声で侍女が問いかけてきた。

「陛下」

 この娘は神府から召した『うしおのひめみこ』だ。

「どうした?」

「その、近ごろ、みぐしがずいぶん豊かになったと思いまして。整える暇もないのは存じておりますが」

「そうなのだよ。この短髪こそ自分が統君たる象徴だというのに」

「それに、ますますお痩せに……」

「それは何度もいっているだろう」

 あくまで柔らかい口調で、少し困った風にいった。

 政務を執るオモテでは絶対に見せられない顔をしながら。

「ちょっと疲れているだけだ。昼餉と夕餉に米氣まで付けば飢え死にはしない。大飯、大米氣と引き換えに富を守るのは商人だって同じだろう。よほどの豪商じゃない限りな。……そうだな、お前にはこの話をしてもいいだろう」

「何でしょう」

「我が父王が崩御されたとき、何故、国の命運も鑑みず、各人が思いのままに動いて騒乱が起きたと思う?」

 唐突な問いかけに『うしお』は戸惑った様子だった。

 だが『うしお』は聡明な娘だ。

 神府に置いておくのが惜しいぐらいだ。

 もし、この国の大難を無事やり過ごせたら、そのまま統府に置いてもいいとさえ思う。

 やがて『うしお』は考え始めた。

 そう、この娘は物事を考える力を持っている。

 歌を詠むのが上手いだけの神府の貴族連中とは大違いだ。

 いったい、どうすればあの無能どもからこの金の卵が生まれるのだろう。

 やや間があった後『うしお』はおずおずといった。

「申し上げにくいのですが……先王のご治世には一貫するものがありませんでした」

「その通りだ、よいぞ。そもそもなぜあのような乱雑な治世を父王はしてしまったのか」

「……諫言に耳を閉ざされていたからです」

「その通り。この話をして本当によかった。お前はあの騒乱をちゃんと見ていたのだな。よいか」

 盃を盆に置いて『うしお』のほうに体を向ける

 『うしお』は、ビシッと音がしそうなほど体をこわばらせつつ背を正した。

「父王は激しい”怒り”と改めようのない”慢心”をお抱えになっていた。これは治世の邪魔にしかならない。いうなれば、君主たるもの、操り人形師にならねばならぬ。外ならぬ自分自身をあやつる、な」

「操り人形師、ですか」

「そうだ。怒りと慢心に操られるようではだめだ。己を操るのは己でなければならない。そのためにも、ひとつ高いところから世を見渡し、己を見おろすことだ。己をあやつりながら、あやつられている己も自覚する。いまは難しく聞こえるかもしれない。だが、いずれ分かるだろう」

 お前を統府に呼ぶころには。

 そういいかけたときだった。

「失礼いたします」

「入れ」

 顔をオモテで見せるそれに切り替える。

 入ってきたのは軍省の連絡武官だった。

「『うしおのひめみこ』様、申し訳ないがご退室願う」

 武官が命じるまでもなく『うしお』は奥の間を辞した。

「雷纏〔らてん〕国と民革軍との間に動きがありました。民革軍の一味が雷纏人のもとへ正装して……」

「話は議場で聞く」

 別の侍女たちを三人呼びつけ、夕餉の片づけと着替えの用意を命じた。

 四杯目の米氣に口をつけなくて大正解だったと、秘かに安堵しながら。