火織譚〔ほおりばなし〕5話――『さくら』(上)

 この季節は水浴びが心地いい。

 濡れて肌にまとわりつく帷子〔かたびら〕もあっという間に乾いてしまう。

 帷子を着替えず、日差しが水気を飛ばすのに任せて井戸端に腰を下ろす。

 この井戸は支茂瀬〔しもせ〕の端にある。

 私の住むぼろ屋の目と鼻の先、庭先にあるも同然だ。

 男衆が二人、先に水浴びすればすぐに順番が回ってくる。

 統君陛下の御治世、ふんどし一丁の男や、胸元をきつく締めない女が目立たなくなったとはいえ、しょせんここは貧民窟だ。

 陛下は西方に負けない国造りをお考えのようだけれど、ここは時代の流れに取り残されてしまった。

 だからこそ、こうして気ままに単衣の帷子で日向ぼっこができるのだけれど。

 今日、蒼丞〔そうじょう〕さんが歌札を取りに来ることになっている。

 初顔合わせからちょうど十度、歌札を買取ってもらううち、私だけではなく、支茂瀬にも顔なじみができた様子だった。

 もう充分体を清めたはずなのに、この東屋のすえた臭いのせいで、水を浴びなおしたくなる。

 いくら髪をくしけずっても足りない。

 蒼丞さんは米氣〔さけ〕を辞めたので大したもてなしもできない。

 それがまた心を苦しくする。

 よく洗っておいた木綿の一張羅に着替えて、ひびの入った姿見の前に座る。

 胸の高鳴りを感じながら、髪飾りを耳のあたりにさした。

 十七の娘なりの、精いっぱいの勇気。

 米氣と朝餉を我慢して、邑咲〔むらさき〕の古物売りから買った、精いっぱいの装い。

 今日はどんな世間話をしようか。

 できるだけ長くあの人を引き止められる話がいい。

 だからといって、仕事の邪魔をしても申し訳ない。

 いつもその間合いを図るのに苦心する。

 その苦心すら、こころよく胸を締め付けてくれるのだけれど。